鹿実野球部の監督・コーチ


久保克之

(名誉監督)

鹿児島実業高校出身

鹿実では主将を務め、投手、外野手として活躍。

日大卒業後、ブリヂストンタイヤを経て1967年に鹿実監督に就任。

監督生活35年の中で春7回、夏12回、計19回甲子園出場。

1996年春は鹿児島県勢初の甲子園優勝を果たす。

現在は、名誉監督。

宮下正一

(監督)

鹿児島実業高校硬式野球部 監督

鹿児島実業高校出身(1990)

90年春 第62回センバツ出場(ベスト8)

90年夏 第72回選手権出場(ベスト8)

90年国体 優勝

 

鹿実では1年夏からレギュラーとして活躍。桜島打線で甲子園を席巻した鹿実黄金期の主将。

2年秋は九州大会を制し、センバツ出場権を獲得。3年春のセンバツでは優勝候補の秋田経法大らを破りベスト8進出。

春夏連続出場となった3年夏の甲子園では2回戦の高知商業戦で初回先頭打者初級ホームランを放つ。

準々決勝で西日本短大付に敗れるも、ベスト8進出を果たした。

卒業後はNKK(現JFE西日本)でプレー。主将として都市対抗大会や日本選手権出場を果たす。

NKK野球部の統合に伴い退社。

2004年から鹿実コーチ、2005年4月から鹿実監督に就任。

監督としては、2004年夏(2回戦)、2008年夏(3回戦)、2010年夏(3回戦)、2011年春(ベスト8)に甲子園出場。

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浜田浩二

(責任教師)

鹿児島実業高校硬式野球部 部長

鹿児島実業高校出身(1993)

93年春 第65回センバツ出場(3回戦)

 

2年秋は藤久保浩、1学年下の栗脇康信(法大-日本IBM野洲)、大城直樹(大阪ガス)らと共に、九州大会を制し、3年春の選抜大会に出場。初戦は関西に勝利するも、続く3回戦で上宮に敗戦。

大学卒業後は教員として母校に復帰し、野球部コーチを経て部長に就任。

岩切信哉

(副責任教師)

鹿児島実業高校硬式野球部 副部長

鹿児島実業高校出身(1997)

右投げ右打ち

96年春 第68回センバツ出場(優勝)

96年夏 第78回選手権出場(ベスト8)

97年夏 第79回選手権出場(初戦敗退)


鹿実では、2年からセカンドのレギュラーとして活躍。

下窪陽介(日大-日本通運-横浜)や、林川大希(早大-三菱自動車岡崎)らと出場した2年春のセンバツでは、攻守に活躍し鹿児島県勢初の甲子園優勝に貢献。

3年時は主将を務め、夏県予選決勝の鹿児島玉龍戦では9回表に3点差を追いつくタイムリーを放つなど抜群の勝負強さを見せた。

大学では崇城大でプレー。主将を務めた3年時は九州大会を制し第50回全国大学野球選手権大会に出場。選手宣誓の大役も果たした。


大学卒業後は教員として母校に復帰し、野球部のコーチを務めている。

本坊慎一郎

(副責任教師)

鹿児島実業高校硬式野球部コーチ

鹿児島実業高校出身(1999)

右投げ左打ち

 

鹿実では、内野のユーティリティプレイヤーとして活躍。

3年夏は主に一塁手として出場。小倉飛鳥(大阪ガス)や、仮屋園信哉(法大)らとともに、県大会決勝まで進出するも、上野弘文(トヨタ-広島)、鶴岡信也(三菱重工横浜-日本ハム-ソフトバンク)らを擁する樟南に破れ、甲子園出場はならなかった。

大学では崇城大でプレー。2学年上の岩切信哉(現鹿実コーチ)らと共に、第50回大学野球選手権大会にも出場した。

 

大学卒業後は、熊本の八代高校、秀岳館高校の野球部コーチを経て、2014年から鹿実コーチに就任。